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春山雨始めて晴
大分県知事 広瀬勝貞
明けましておめでとうございます。
この時期になると、もう随分前のことですが、元日に見た豊旗雲(とよはたぐも)の感動を思い出します。
初日の出を見ようと、前日から泊まったホテルを抜け出して海の見える丘に向かったのですが、思いの外遠くて初遅刻。折角ここまで来たのだからと、頂上まで登っていくと、ぱっと開けた太平洋が朝日を浴びて金波、銀波が眩いほどでした。「ああ、日の出を見たかった」と空の方に目を移すと、その朝日に照らされて細くたなびく何条もの雲が金、銀、紅、紫に輝いて、天人が舞っているようで、何か希望で胸が一杯になるような感激を覚えたものです。その年に特に佳いことがあった記憶はありませんが、それでもあの光景を思い出しては「そのうち、佳いことがある」と勇気づけられるような気がします。
川端康成がノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」で、日本人は花鳥風月、またその四季折々の移ろいの美を見ては、物を思い、目覚め、生きる歓びを感じ、また他人のことを思いやる、と述べています。それも特別なことでなく普段にあることで、リスナー参加型の朝のラジオ番組を聴いていると、「日の出前に家を出たら、月が明るく照っていて、今日は佳いことがありそう」だとか、「お隣からピンクのバラの花をいただいた。主人の思い出に胸に付けて出勤」など自然と心を通わせた便りが多いような気がします。
このように、日本人が自然に絶えず関心を向け、時に興味を持って観察し、たまに感動をもらうことは素晴らしいことだと思います。これによって懐が大きくなるというか、他を思う気持ちも培われ、優しさや思いやりも磨かれるのではないかと思います。先程のラジオではありませんが自然のおかげで喜びは倍になるし、寂しさは半分になります。
これは日本人に特有のものかと思っていましたが、友人からイギリスの詩人ワーズワースのことを教えてもらいました。それによりますと、彼(か)の詩人は「虹」という詩で、人は生まれながらに持っている自然への敬虔(けいけん)の念をいつまでも持ち続けたいと詠っています。
「大空の虹を見ると私の心は躍る」
幼児の時にそうだったし、大人になった今もそうだし、これから年を重ねた後にもそうあってほしい。
「子どもは大人の父である。大人になっても子どもの時の気持ちのままに自然への敬虔の念によって一日一日が結ばれていきますように」
今年も自然との関わりを大事にしていきたいと思います。今年はアジア初の「宇宙港」目指して走らなければなりません。「日本には宙や星を詠ったものは余りありませんね」といつもご教示いただいている日本文学の先生に伺ったら「とんでもない。たくさんありますよ」といくつも教えていただきました。
友人や先生は、佳き人生の父親みたいなものだと、感謝を込めて紹介させていただきます。
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
未詳 人麻呂歌集より
(天空の海に白雲の波が立って、月の舟が、星の林の中に今しも漕ぎかくれてゆく)
照る月の流るる見れば天の川出づる港は海にざりける
紀貫之 土佐日記より
(照る月が流れるように海に沈んでゆくのを見ると、天の川の流れ出す先は地上の河と同じようにやはり海だったのだな)
空、星、海と雄大な舞台も大きな感動を呼びます。
今年の書初めは淡窓翁の詩の一節をいただいて、
春山雨始晴 春山雨始めて晴 としました。
春山に始め雨が降っていたが今は晴れて、雨に洗われた花も若葉も輝いている。コロナ禍が過ぎて今年こそ佳い年になりますように。
~県政だより新時代おおいたvol.140 2022年1月発行~