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明治 4年 | (1871) | 大分県となる。 初代大分県知事(しょだいおおいたけんちじ) 森下 景端(もりした かげなお)氏。 |
明治 5年 | (1872) | 県庁(けんちょう)ができる。 |
明治 9年 | (1876) | 今の大きさの大分県ができる。 |
明治44年 | (1911) | 大分市ができる。 |
明治44年 | (1911) | 小倉(こくら)から大分に鉄道(てつどう)がとおる。 |
大正 5年 | (1916) | 日豊本線(にっぽうほんせん)が佐伯(さいき)まで開通(かいつう)する。 |
大正 9年 | (1920) | 国勢調査(こくせいちょうさ)がある。大分県の人口86万人。 |
大正11年 | (1922) | 大分高等商業(おおいたこうとうしょうぎょう)が開校(かいこう)する。 |
大正13年 | (1924) | 別府市ができる。 |
昭和16年 | (1941) | 太平洋戦争(たいへいようせんそう)がはじまる。 |
昭和20年 | (1945) | 戦争が終(お)わる。 |
昭和22年 | (1947) | 知事が県民の選挙(せんきょ)で選(えら)ばれる。細田 徳寿(ほそだ とくじゅ)氏。 |
昭和30年 | (1955) | 大分県の人口127万7千人。 |
昭和34年 | (1959) | 臨海工業地帯(りんかいこうぎょうちたい)の建設起工式(けんせつきこうしき)。 |
昭和37年 | (1962) | 県庁が今の場所に建(た)てられる。 |
昭和41年 | (1966) | 国民体育大会(こくみんたいいくたいかい)が初めて大分で開催(かいさい)される。 |
昭和46年 | (1971) | 新大分空港(しんおおいたくうこう)が安岐町(あきまち)にオープンする。 |
昭和47年 | (1972) | 新日本製鐵(しんにほんせいてつ)第1号高炉(だいいちごうこうろ)が動き始める。 |
昭和54年 | (1979) | 「一村一品運動(いっそういっぴんうんどう)」はじまる。 |
平成 6年 | (1994) | 県から初めての内閣総理大臣(ないかくそうりだいりん)が生まれる。 村山 富市(むらやま とみいち)氏 |
平成 8年 | (1996) | 九州横断大分自動車道(きゅうしゅうおうだんおおいたじどうしゃどう)が完成する。 |
平成12年 | (2000) | 立命館(りつめいかん)アジア太平洋大学が開学(かいがく)する。 |
平成14年 | (2002) | ビッグアイ(大分市)でFIFAワールドカップが開かれる。 |
平成15年 | (2003) | 大分県行財政改革(ぎょうざいせいかいかく)がはじまる。 平成の市町村合併(しちょうそんがっぺい)はじまる。 |
平成20年 | (2008) | 第63回国民体育大会が大分で開催される。 |
平成27年 | (2015) | 東九州自動車道(ひがしきゅうしゅうじどうしゃどう)が全線開通する。 |
平成30年 | (2018) | 第33回国民文化祭(こくみんぶんかさい)、第18回全国障害者芸術・文化祭(ぜんこくしょうがいしゃげいじゅつ・ぶんかさい)が大分で開催される。 |
令和元年 | (2019) | ラグビーワールドカップが大分で開催される。 |
大友 宗麟(おおとも そうりん)(大分市) 戦国武将(せんごくぶしょう):1530~1587年 |
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キリスト教を保護(ほご)・推奨(すいしょう)して、西洋文化(せいようぶんか)をいち早く取り入れ、ポルトガルと親交(しんこう)を結(むす)んだキリシタン大名(だいみょう)です。 |
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前野 良沢(まえの りょうたく)(中津市) 中津藩医(なかつはんい):1723~1803年 |
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解剖書(かいぼうしょ)「ターヘル・アナトミア」を杉田 玄白(すぎた げんぱく)らと翻訳(ほんやく)して、「解体新書(かいたいしんしょ)」として出版(しゅっぱん)しました。 |
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田能村 竹田(たのむら ちくでん)(竹田市) 南画家(なんがか):1777~1835年 |
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江戸時代の後期に、画家として活躍し、多くの弟子を育て、香り高い芸術文化を大分にもたらしました。 山水(さんすい)、花鳥(かちょう)などを描いた絵画作品や、詩や絵に関する本を多く残(のこ)しました。代表作のいくつかは国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されています。 |
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広瀬 淡窓(ひろせ たんそう)(日田市) 儒学者(じゅがくしゃ)、教育者:1782~1856年 |
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近世最大の私塾(しじゅく)「咸宜園」(かんぎえん)を開いて教えました。 その建物は今も日田市に残っています。 三浦 梅園(みうら ばいえん)、帆足 万里(ほあし ばんり)とともに豊後三賢(ぶんごさんけん)の一人と言われています。 |
福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち)(中津市) 啓蒙思想家(けいもうしそうか):1835~1901年 |
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一万円札にのっています。 「学問のすすめ」「西洋事情」という本を書きました。 慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく) のもとになる学習塾(がくしゅうじゅく)を開きました。 |
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滝 廉太郎(たき れんたろう)(竹田市) 作曲家:1879~1903年 |
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「荒城(こうじょう)の月」「花」などの名曲を残(のこ)しました。 竹田駅では、列車(れっしゃ)が入ると「荒城の月」の音楽が流れます。 |
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野上 弥生子(のがみ やえこ)(臼杵市) 小説家:1885~1985年 |
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夏目 漱石(なつめ そうせき)の指導(しどう)をうけて小説を書きはじめ、「海神丸(かいじんまる)」「秀吉と利休」などたくさんの作品を発表しました。 |
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双葉山 定次(ふたばやま さだじ)(宇佐市) 大相撲力士(おおずもうりきし):1912~1968年 |
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昭和11年から3年間勝ち続け、前人未踏(ぜんじんみとう)の69連勝をなしとげました。 「すもうの神様」といわれ、引退後(いんたいご)は、日本すもう協会の理事長(りじちょう)になりました。 |