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大分県の歴史

印刷ページの表示 ページ番号:0002027328 更新日:2021年11月10日更新

大分県の歴史

明治 4年 (1871) 大分県となる。
初代大分県知事(しょだいおおいたけんちじ) 森下 景端(もりした かげなお)氏。写真:森下景端氏
明治 5年 (1872) 県庁(けんちょう)ができる。
明治 9年 (1876) 今の大きさの大分県ができる。
明治44年 (1911) 大分市ができる。
明治44年 (1911) 小倉(こくら)から大分に鉄道(てつどう)がとおる。
大正 5年 (1916) 日豊本線(にっぽうほんせん)が佐伯(さいき)まで開通(かいつう)する。
大正 9年 (1920) 国勢調査(こくせいちょうさ)がある。大分県の人口86万人。
大正11年 (1922) 大分高等商業(おおいたこうとうしょうぎょう)が開校(かいこう)する。
大正13年 (1924) 別府市ができる。
昭和16年 (1941) 太平洋戦争(たいへいようせんそう)がはじまる。
昭和20年 (1945) 戦争が終(お)わる。
昭和22年 (1947) 知事が県民の選挙(せんきょ)で選(えら)ばれる。細田 徳寿(ほそだ とくじゅ)氏。
昭和30年 (1955) 大分県の人口127万7千人。
昭和34年 (1959) 臨海工業地帯(りんかいこうぎょうちたい)の建設起工式(けんせつきこうしき)。
昭和37年 (1962) 県庁が今の場所に建(た)てられる。イラスト:県庁
昭和41年 (1966) 国民体育大会(こくみんたいいくたいかい)が初めて大分で開催(かいさい)される。
昭和46年 (1971) 新大分空港(しんおおいたくうこう)が安岐町(あきまち)にオープンする。イラスト:大分空港
昭和47年 (1972) 新日本製鐵(しんにほんせいてつ)第1号高炉(だいいちごうこうろ)が動き始める。
昭和54年 (1979) 「一村一品運動(いっそういっぴんうんどう)」はじまる。
平成 6年 (1994) 県から初めての内閣総理大臣(ないかくそうりだいりん)が生まれる。
村山 富市(むらやま とみいち)氏
平成 8年 (1996) 九州横断大分自動車道(きゅうしゅうおうだんおおいたじどうしゃどう)が完成する。
平成12年 (2000) 立命館(りつめいかん)アジア太平洋大学が開学(かいがく)する。
平成14年 (2002) ビッグアイ(大分市)でFIFAワールドカップが開かれる。イラスト:ビッグアイ
平成15年 (2003) 大分県行財政改革(ぎょうざいせいかいかく)がはじまる。
平成の市町村合併(しちょうそんがっぺい)はじまる。
平成20年 (2008) 第63回国民体育大会が大分で開催される。イラスト:めじろん
平成27年 (2015) 東九州自動車道(ひがしきゅうしゅうじどうしゃどう)が全線開通する。
平成30年 (2018) 第33回国民文化祭(こくみんぶんかさい)、第18回全国障害者芸術・文化祭(ぜんこくしょうがいしゃげいじゅつ・ぶんかさい)が大分で開催される。国文祭めじろん
令和元年 (2019) ラグビーワールドカップが大分で開催される。ラグビーめじろん

有名な大分県人

近世:安土桃山、江戸時代

 大友宗麟 大友 宗麟(おおとも そうりん)(大分市)
戦国武将(せんごくぶしょう):1530~1587年

キリスト教を保護(ほご)・推奨(すいしょう)して、西洋文化(せいようぶんか)をいち早く取り入れ、ポルトガルと親交(しんこう)を結(むす)んだキリシタン大名(だいみょう)です。

 前野 良沢 前野 良沢(まえの りょうたく)(中津市)
中津藩医(なかつはんい):1723~1803年

解剖書(かいぼうしょ)「ターヘル・アナトミア」を杉田 玄白(すぎた げんぱく)らと翻訳(ほんやく)して、「解体新書(かいたいしんしょ)」として出版(しゅっぱん)しました。 

 田能村竹田 田能村 竹田(たのむら ちくでん)(竹田市)
南画家(なんがか):1777~1835年

江戸時代の後期に、画家として活躍し、多くの弟子を育て、香り高い芸術文化を大分にもたらしました。

山水(さんすい)、花鳥(かちょう)などを描いた絵画作品や、詩や絵に関する本を多く残(のこ)しました。代表作のいくつかは国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されています。

肖像画:広瀬淡窓 広瀬 淡窓(ひろせ たんそう)(日田市)
儒学者(じゅがくしゃ)、教育者:1782~1856年
近世最大の私塾(しじゅく)「咸宜園」(かんぎえん)を開いて教えました。
その建物は今も日田市に残っています。
三浦 梅園(みうら ばいえん)、帆足 万里(ほあし ばんり)とともに豊後三賢(ぶんごさんけん)の一人と言われています。

近代・明治以降

福沢諭吉 福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち)(中津市)
啓蒙思想家(けいもうしそうか):1835~1901年
一万円札にのっています。
「学問のすすめ」「西洋事情」という本を書きました。
慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく) のもとになる学習塾(がくしゅうじゅく)を開きました。
 滝廉太郎 滝 廉太郎(たき れんたろう)(竹田市)
作曲家:1879~1903年
「荒城(こうじょう)の月」「花」などの名曲を残(のこ)しました。
竹田駅では、列車(れっしゃ)が入ると「荒城の月」の音楽が流れます。 
 野上弥生子 野上 弥生子(のがみ やえこ)(臼杵市)
小説家:1885~1985年

夏目 漱石(なつめ そうせき)の指導(しどう)をうけて小説を書きはじめ、「海神丸(かいじんまる)」「秀吉と利休」などたくさんの作品を発表しました。

 双葉山定次 双葉山 定次(ふたばやま さだじ)(宇佐市)
大相撲力士(おおずもうりきし):1912~1968年
昭和11年から3年間勝ち続け、前人未踏(ぜんじんみとう)の69連勝をなしとげました。
「すもうの神様」といわれ、引退後(いんたいご)は、日本すもう協会の理事長(りじちょう)になりました。