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江戸時代後期、山国川流域に広がる奇岩と渓谷の自然美を頼山陽は『耶馬渓』と呼んだ。
以来、悠久の時の流れが造り上げた奇跡の山水は広く知られるようになり、訪れた多くの人々を魅了してきた。
明治、大正、昭和。
そして平成29(2017)年。広大な景勝地・耶馬渓の歴史や文化を語るストーリー「やばけい遊覧〜大地に描いた山水絵巻の道をゆく〜」が日本遺産に認定された。
ぜひ多くの方々に耶馬渓を歩き、時に自転車でその素晴らしさを体感してもらいたい。
文政元(1818)年、山国谷を訪れた頼山陽はその壮大な景色、山水の美しさに感銘を受け、「耶馬渓山 天下に無し」と絶賛し、全国へその名を広めた。
明治27(1894)年に中津に帰郷した福澤諭吉は、故郷である競秀峰の山々が売却されることを知り、自分の名を出さずに土地を購入することで競秀峰の景観を護った。諭吉が護り抜いた景観は今も訪れる人々を魅了している。
大正8(1919)年、菊池寛による短編小説「恩讐の彼方に」が発表された。「恩讐の彼方に」は青の洞門に残る禅海和尚伝説を基にした物語で昭和36(1961)年にはテレビドラマ化もされている名作である。
名勝耶馬渓~いま、ふたたび66景をめぐる~【発行日】 平成31年3月29日 【発行】 大分県北部振興局(地域振興部) 【企画・取材】 米村奈穂 【印刷製本】 佐伯印刷株式会社 【本書・本HPを読む前に】 | |
名勝耶馬渓66景 (冊子P41~)大正時代に指定された名勝耶馬渓66景。 溶岩台地と川の流れが造りだした特異な地形、 しかし、人も自然も時とともに刻々と変化する。 【本耶馬渓】 競秀峰の景、羅漢寺の景、他15景 |