ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 玉来ダム > 竹田水害緊急治水ダム建設事業

本文

竹田水害緊急治水ダム建設事業

印刷ページの表示 ページ番号:0000009351 更新日:2014年4月15日更新

1.稲葉ダム・玉来ダムについて
2.事業概要
3.竹田市水害の歴史 (江戸期以降)
4.竹田大水害 (昭和57年6月・平成2年7月)

稲葉ダム・玉来ダムの建設について

 昭和57年7月24日、長崎県に大洪水をもたらした梅雨末期の集中豪雨が、竹田地方も襲い、7名の尊い人命を奪い、家屋の全半壊、道路・鉄道の流失など、稲葉川・玉来川の氾濫などにより、大正12年7月以来59年ぶりの大水害となり、未曾有の大惨事をもたらしました。
 この水害を契機に稲葉川・玉来川などで災害復旧工事やダム建設の調査・計画を進めていましたが、八年後の平成2年7月には、昭和57年の水害を上回るかつてない豪雨が、再び竹田地方を襲い、家屋の流失・全半壊、道路、鉄道の流失など市民生活に大被害を与えるとともに、再び尊い5名の人命を奪いました。
 この大水害を契機に、市街地上流に稲葉ダム・玉来ダムを建設する「竹田水害緊急治水ダム建設事業」が平成3年度事業採択され、河川改修とダム建設を組み合わせた治水対策を行うことになりました。
 河川改修については平成12年度に槪成し、稲葉ダムについては平成15年3月に本体工事に着手し、平成22年度に完成しております。玉来ダムについては、早期完成目指し準備を進めているところです。

事 業 概 要

稲 葉 ダ ム

 一級河川大野川水系稲葉川(右岸側:大分県竹田市刈小野 左岸側:大分県竹田市久住町白丹)に治水ダムとして建設するもので、平成7年1月にダム軸・型式を決定し、平成15年3月から本体工事に着手し、平成23年3月に完成しました。 

目 的

(1) 洪水調節

  • ダム地点の計画高水流量540m3/sのうち290m3/sを洪水調節し、下流域の洪水を軽減します。洪水 調節による豊岡橋基準点の計画高水流量は930m3/sとなります。

(2) 流水の正常な機能の維持

  • ダム地点より下流の既得取水の安定化(渇水時の補給)や河川環境の保全等を図ります。

玉 来 ダ ム

 一級河川大野川水系玉来川(大分県竹田市井手添)に建設する予定です。現在ダム位置及び型式を決定するための調査を実施しています。

目 的

(1) 洪水調節

  • ダム地点の計画高水流量850m3/sのうち300m3/sを洪水調節し、下流域の洪水を軽減します。洪水調節による常磐橋基準点の計画高水流量は1370m3/sとなります。  

竹田市水害の歴史 (江戸期以降)

【元和 5年(1619年) 8月】

  • 大風雨に見舞われ、洪水により滑瀬橋が落下。

【寛文 9年(1669年) 8月】
  • 大風雨により城内、城下ともに被害を出す。
  • 旧岡藩領内の村々にも多大な被害を出す。

【元禄15年(1702年) 8月】
  • 大風雨により洪水発生、旧岡藩領内の各所に被害を受け、領民の間に死傷者を出す。

【宝暦 5年(1755年) 8月】
  • 大雨による洪水のため、旧岡藩領内各所に被害を出す。
  • 被害石高は3万8千石とされる。

【安永 7年(1778年) 7月】
  • 大雨により旧岡藩領内に被害を出す。
  • また、この秋には大風雨による被害もあり、被害石高は3万7千石余りとされる。

【天明 2年(1782年) 7月】
  • この年の7月は2度にわたる大雨に見舞われ、旧岡藩領内に大きな被害を出す。
  • 被害石高は4万3千石とされる。

【寛政 3年(1791年) 6月】
  • 大雨による洪水発生のため、旧岡藩領内に大きな被害を受け、領民に死者を出す。

【文化 元年(1804年) 8月】
  • 大風雨により洪水発生。旧岡藩領内に甚大な被害を被る。
  • 死者20名、負傷者8名を出している。

【文政 8年(1825年) 夏】
  • この年は初夏より長雨が続き、8月には洪水が発生。田畑に大きな被害を出す。
  • 被害石高は3万9千石とされる。

【文政11年(1828年) 7月】
  • 大風雨に見舞われ、旧岡藩領内に被害を出す。
  • 被害石高は4万2千石とされる。

【天保 6年(1835年) 7月】
  • 大風雨のため洪水発生。旧岡藩領内に大きな被害を被る。
  • 死者3名を出し、被害石高は3万5千石余りとされる。

【明治 2年(1869年) 6月】
  • 大雨により洪水発生。下町地区が浸水する。死者を出したと伝えられる。

【明治38年(1905年)】
  • 大雨により洪水発生。竹田橋流失。

【大正12年(1923年) 7月】
  • 集中豪雨により洪水発生。死者3名、流失家屋9戸、浸水家屋200戸と大きな被害を出す。

【昭和28年(1953年) 6月】
  • 集中豪雨により洪水発生。死傷者数名を出す。

竹 田 大 水 害 (昭和57年7月・平成2年7月)

 昭和57年の水害では7名の人命が奪われました。また、浸水家屋356棟、浸水農地は875haもあり、約53億円の被害が出ました。
 それから8年後の平成2年7月2日、昭和57年を上回る豪雨が、再び竹田を襲いました。
 家が川に流されたり、壊れたり、道路や線路も流され、約466億円の被害が出ました。そして、また5名の人命が奪われました。
 この2度の大きな水害がきっかけとなり、竹田の人たちが安心して暮らせるようにダムを建設しています。

被 害 写 真 (昭和57年 7月)

<竹田市街地>

S57.6 被害状況(市街地)      現在の状況(市街地)

被 害 写 真 (平成 2年 7月)

<豊岡小学校>

H2.7 被害状況(豊岡小学校)      現在の状況(豊岡小学校)

<国道57号>

H2.7 被害状況(国道57号)      現在の状況(国道57号)

<大分県豊肥振興局>

H2.7 被害状況(豊肥振興局)      現在の状況(豊肥振興局)

<常磐橋>

H2.7 被害状況(常磐橋)      現在の状況(常磐橋)