ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 玉来ダム > 玉来ダム建設工事 進捗状況について(令和4年2月)

本文

玉来ダム建設工事 進捗状況について(令和4年2月)

印刷ページの表示 ページ番号:0002128680 更新日:2022年2月10日更新

令和4年2月

 2月になり、立春を迎えましたが、まだまだ寒い日が続き、現場の冷え込みも厳しいものになっています。
 玉来ダムでは、平成29年3月に本体建設工事に着手し、平成30年10月から堤体コンクリートを打設開始。令和3年8月に約18万立方メートルのコンクリート打設が完了しました。
 現在は、天端橋梁仕上げ工事や貯水池の止水工事(※1:グラウチング)を行っています。
 また、仮設備の撤去も始まり、ダム直下に架かっていました仮橋の撤去も概ね完了し、ダムの見え方にも変化が生じています。

 引き続き工事の安全と周辺環境に、より一層配慮し、早期完成に向けて事業を進めていきます。
※1:グラウチングとは、ダム上流部の止水対策として、岩盤内の割れ目にカーテン状にセメントミルクを注入するもの。

1.ダムサイト全景(下流より)

2.ダムサイト近景(下流より)

3.ダムサイト左岸(右岸より)

4.ダムサイト右岸(左岸より)

玉来ダム 建設中ダム 大分県
拡大画像 [その他のファイル/156KB]
                              令和4年2月3日撮影

                                                        写真撮影

5. 周辺情報

 玉来(たまらい)地区は、かなり昔から集落が形成されていた地域でその昔「猫原(ねこばる)」と呼ばれており、地区を表す名称はなかったそうです。
 第一の説は、地名の様に猫が多く住み「魔所」と呼ばれ、旅人も、町人も難渋したそうで、ある時、旅の僧が町をしたてる時は、神社仏閣を建創して悪魔を降伏し、退散しなければ町の繁栄はできないと告げられたそうです。その僧をしばらく留め置き、教示を請い玉を作り町の四方に埋め神社仏閣を各々に設置したと伝説にあります。
一番玉は、北東に鬼門除けとして薬師如来を安置した鶴林山(下鶴あたり)、二番玉は、南西の方角に地蔵尊、三番玉は、北西に天神社を勧請、四番玉は、南東にあたって薬師如来堂を立て来福寺と号したが後に山崩れに遭い堂は破損、地蔵菩薩の傍に移して堂を建立したといわれています。(残念ながら現在は、その場所は不明となっています)
第二の説は、隕石が落下し、その石を洗った川を玉洗い川と言った。それにより、玉洗いが変化し、玉来となったという説。
第三の説は、人の往来が多く狩人やその獲物が多く集まり来るので玉来と呼ばれるようになったという説。
第四の説は、交通の要所として往来が盛んになると商い、娯楽の町として栄え遊郭が出来、遊女が客を、客は遊女を、店の主は金を「玉」と呼び玉が集まり来ることを喜び、それが由来となったという説。

といくつもの伝説が残されています。昔から人々が集まる場所であったということは間違いないようです。

 

参考文献 竹田市史 

              玉来物語ー観光の「窓」にー