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本格的な台風シーズンとなり、災害が心配されます。
玉来ダムでは、平成29年3月に本体建設工事に着手し、平成30年10月から堤体コンクリートを打設しておりましたが、令和3年8月24日に約18万立方メートルのコンクリート打設が完了しました。これにより治水機能が充分に発揮されます。
また、9月1日~4日に天端橋梁の桁架設を完了しました。
今後は天端橋梁仕上げ工事や貯水池の止水工事(※1グラウチング)を行う予定です。
引き続き工事の安全と周辺環境に、より一層配慮し、早期完成に向けて事業を進めていきます。
※1グラウチングとは、 ダム上流部の止水対策として、岩盤内の割れ目にカーテン状にセメントミルクを注入するもの。
令和3年9月7日撮影
玉来ダム北東に位置する城原(きばる)八幡社の草創は、景行天皇のご巡幸された応神2年(西暦391年)と言われます。ダム南側の菅生台地に位置する禰宜野(ねぎの)にある、禰宜野神社と共に、日本書紀にも土蜘蛛征伐の話で登場します。この戦に苦戦する天皇が、戦勝を祈って占いをした地と言われています。
城原神社は、1586年の戦により焼失、1596年に現在の地に遷宮されたと伝えられています。昔は、豊後八幡七社にも数えられ、藩主が信仰したことから、竹田市の中でも格式の高い重要な神社です。
毎年10月中旬に開催される「城原神社秋季大祭・前夜祭」は、前夜祭で奉納される、竹田市指定無形民俗文化財の城原神楽を楽しみに、日頃は静かな境内ですが、大勢の人で賑わいます。翌日の本祭では、大分県無形民俗文化財の阿鹿野獅子の舞が奉納されます。この獅子の舞が、日本書紀にある阿鹿野の民(昔は、炭竈、上坂田、古園、刈小野、上畑一帯を指した)が、苦戦する天皇に味方して、荒野を魔払いの獅子として先導する様子を表していると伝えられています。
2021年は、残念ながらコロナウイルス感染症対策の為、神事のみの開催と言うことですが、是非万葉のロマン漂う城原の地を散策いただければと思います。
写真提供 竹田市観光ツーリズム協会
参考文献 竹田市史