本文
鏡三題
大分県知事 広瀬勝貞
明けましておめでとうございます。
家で屠蘇をすすっていたら、隣のパートナーがクスクス。いくらめでたい初笑いでも一人占めは許せないと、覗いてみると、漱石の「猫」を読みながら、もう「ワッハッハ」の大笑い。横取りして読んでみると、主人が細君に猫の頭を打たせて、その鳴き声が感投詞か副詞かと真面目に論じている。まあ、可笑しいが、初笑いには物足りないと、次々に読み進んでしまいました。
このとおり動機は不純ですが、久し振りに読んでみて感心しました。軽快でユーモラスに、しかし、人間の弱みをズバリと突いてくるところがあります。
「鏡は己惚の醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。」と猫は断じています。鏡は虚栄心を煽り、増長させる悪さもしますが、鏡を見て自分の軽佻浮薄、俗人振りに気付くということもある。人間、たまには自分を客観的に見て、人の道、世の常識に照らしておかしくないか検証してみる必要があるかもしれません。初笑い変じて、年始めの警鐘をいただきました。
自分を客観的に見る、といえば、先日、新春対談で演出家の宮本亜門さんと話した時のことですが、仕事でスランプに陥った時どうするか、と聞いてみました。そんな時は大体、自分自身を責めたり、自分を分かってくれない人に悲観したりするもの。そんなふうに考えないで、自分が大きな社会の一員だと考え直して、その自分や社会も地球の中の小さな点として置いてみると、ふっと気持ちが楽になる、と言っていました。大きな鏡の中に自分を映してみると、自分が小さくて、悩みなど取るに足りないという気になる、大きな社会に埋もれそうな自分を見るとその社会の中にこそ何か解がある気になる、と言っていました。
もう一つ、これも新春対談ですが、人型ロボットの研究をしている石黒 浩大阪大学教授にも話を聞く機会がありました。人型ロボットの用途に議論が及んだ時、普段あまり話をしない高齢者の相手をさせると、その高齢者はそのうち目を輝かせていろいろ話をして、随分元気が出てくるように見える。また、落ち着きのない児に抱っこさせ、こちらからいろいろ呟きかけて会話を引き出していると、そのうち静かになるそうです。人型ロボットが話を聞いて返事をして対話をする-現段階では研究室の学生がほとんど鸚鵡返しに返事をして対話を成立させているのですが-ことで、鏡になって人間の心の内を映し出して、それがまた心を癒やしたり満たしたりしてくれるのだと思います。
年の初めに三つの鏡に出会いましたが、今年もいろいろな鏡を見ながら、元気をもらったり、元気の出し過ぎを反省しながらやっていこうと思います。
県政だより新時代おおいたvol.110 2017年1月発行