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8月に思うこと
大分県知事 広瀬勝貞
8月になると広島、長崎の原爆の日、そして太平洋戦争終戦の日と日本人にとっては忘れられない日が続きます。私はこれらの記念日とともに、かつて仕えていた宮澤総理が私ども秘書官に、「日本がなぜあのような可能性のない戦争をしたのか、よく論じ、歴史として伝えていかなければならない」と言っておられたことを思い出します。
310万人の日本人が無念のうちに命を断たれ、多くのものが破壊された戦争。二度とあんな惨禍を繰り返してはならないと心に誓うことも大事ですし、また日本の植民地支配と侵略を謝罪することも忘れてはなりませんが、併せて、本当に二度とあんな戦争を起こさないようにするために、どうすればよいか考えることも重要です。そのため、なぜ戦争になってしまったのか、戦争をしてしまったのか、日本人がそこを歴史として、肝に銘じておくことが必要だと思います。
宮澤総理は、やはり第一に自由の後退と民主主義の衰退を挙げたかったのではないかと思います。大正デモクラシーを経てようやく確立してきた思想・言論の自由が、「国益追求」「戦争遂行」の美名の下に蔑ろにされたり、テロやクーデターによって否応なく封殺されるようになりました。言いたいこと、言うべきことを言いづらい時代から、本当に言えない時代になり、国の行く先や基本政策を国民や議会が自由な言論の中で決めるという民主主義のルールが機能しなくなりました。
第二に、それと裏腹かもしれませんが、軍部の台頭もありました。統帥権の独立という軍部の独走を許す理屈が独り歩きし、閉鎖的なエリート組織で独善的な国家論や国防論が自己増殖し、国を誤らせ、国民に犠牲を強いることになりました。そして深刻なのは、政治の機能低下もあったのかもしれませんが、軍部の力を背景とした歯切れの良い言動がかえって国民的な共感を得ていた時期もあったことです。
第三に、国際的な情報不足、外交的決断力の欠如も考えなければなりません。第一次大戦後、国際連盟ができて国際協調の気運が高まる中、日本が生命線と信ずる国益を主張し、孤立化していきました。この時、勝算のない戦争は絶対避けるということを第一に、頼りになる同盟国を選ぶなり、外交的妥協を選ぶ外交力があったらという気もします。もちろん、外交は政治の延長とも言われます。外交の劣化は政治の劣化、外交だけを責めるわけにはいきませんが。
日本をめぐる国際環境は一段と厳しくなってきています。米ソ冷戦の下で発足した日米安保条約もいつまでもこのままでいけるとは思えません。こんな中ですから、憲法改正の是非をめぐる議論もまた活発になってくると思います。こういう時こそ「先の戦争はなぜ起こったのか、なぜ避けることができなかったのか」ということを、いろいろな角度から総合的に議論しておくことが大事だと思います。改憲、護憲を論ずるに当たっては、今の憲法があの戦争の結果生まれたものであることを踏まえ、二度とあのような戦争を引き起こさないためにどうすればよいか、戦争に至った経緯、歴史、その後の国の内外の情勢変化などもしっかり分析しながら論じていくべきではないでしょうか。
~県政だより新時代おおいたvol.132 2020年9月発行~