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六郷満山開山1300年
大分県知事 広瀬勝貞
若葉と山桜の錦をまとった山なみを縫って、六郷満山の峯行を拝見してきました。養老2年(718年)に仁聞菩薩が六郷満山を開山したと伝承されており、来年はそれから1300年に当たります。記念すべき年を恙なく迎えようと峯行を行うのだそうです。
「六郷満山」のもと、国東半島に天台宗の寺が展開し、これが古来あった山岳信仰や宇佐神宮の八幡信仰と融合して、神仏習合の文化が花開きました。神仏習合ですから、峯行も宇佐神宮から始め、寺を巡り、神社を廻って両子寺で結願ということになっています。それにしても鬱蒼とした谷から白装束、錫杖を持った僧があらわれて低頭して迎える我々の前を通って、今度は石段を登って岩の切り立つ山の方に消えていく様子は、静かに心打たれるものがありました。
歴史を重ねた、奥の深い文化だと思いますが、それだけに研究もあまり進んでおらず、この地を世界文化遺産に申請した際も審査委員から「もう少し学術研究が進められるといいですね」と指摘されたくらいです。謂れはともかく、国東半島には今でも両子寺、文殊仙寺、富貴寺、長安寺はじめ数々の名刹が点在し、文化財としても貴重な仏像、磨崖仏などもあります。修正鬼会、ケベス祭りなど奇祭も今に継承されています。
そんな国東半島ですから、誰言うとなく「仏の里」と言われるようになりました。神仏の恵か、あるいはそれを日々感じて暮らす人々の優しさか、この地に入るとほっとした安堵感を覚えるものです。
ここにはお接待と言いますか、お寺に参る人たちを迎え、食事や茶菓をふるまう習慣が残っています。先日の峯行拝見でもお接待を頂きました。近隣の人々が三々五々集まって、手を合わせて「いただきます」、接待する方も「よく来てくれました」とにこにこ顔。自然と感謝の交流があって気持ちがいいものです。お接待だけでなく、地元の方々は、日頃から寺社の活動を支えているようで、祭りの手伝いからその祭りに夜を徹してお勤めをする僧のための夜食の用意から、何かとお世話をしています。いつか成仏寺に伺った時、地元の方が祭りの夜食用に作っているという「こしょうもち」をご馳走になりました。眠気覚ましに、こしょう味噌をつけた餅で、トキハで売れば即完売でしょう。
文化とは心を開いていろいろの価値を論じ認め合うということかもしれません。国東半島のさるお寺がもう20年以上続けている文化講演会がありますが、いつ覗いても満員です。心が開放されて自由になるからでしょうか、たくさんのアーティストが住んで制作活動をしています。
こうしてみると国東半島では、人々が神仏習合の文化に抱かれて、無意識のうちに暮らしの中に取り入れ、同じ気持ちで互いに助け合い支えあって優しい地域を作っているように思います。長い間文化と地域が互いに支えあって今日に至っているようです。
そう言えば伝統の峯行は、当初は地域開発の現地調査のような意義もあったという説もあります。山や里を歩いて水源を探ったり、ため池の適地を捜したり、郷を結ぶ道路を構想したり、地域の開発にも力を入れたという話です。これも文化と地域の支えあい、峯行の情報は地域の開発に貴重な情報として活用されたのでしょう。
来年の六郷満山開山1300年は、神仏習合文化と宇佐国東地域のさらなる発展の機会にしたいものです。
~県政だより新時代おおいたvol.112 2017年5月発行~