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大分県の地震・津波
大分県では繰り返し、地震・津波による被害を受けています。
過去の地震・津波について知っておくとともに、いざというときに備えておきましょう。
大分県の地震・津波 歴史記録に残る地震・津波の被害
歴史古文書における慶長豊後地震及び宝永地震の津波被害箇所と津波高
大分県の地震・津波
大分県に被害をもたらす地震・津波は、県の内陸部や別府湾地域の断層が動いて発生する活断層型地震と、南海地震など南海トラフのプレート境界などで発生する海溝型地震の2種類があります。県内に被害をもたらした活断層型地震として、1596年の慶長豊後地震や1975年の大分県中部地震などがあり、海溝型地震として、1707年の宝永地震などがあります。
歴史記録に残る地震・津波の被害
大分県には、地震・津波に関する数多くの貴重な古文書が現存しており、過去の被害の様子が今に伝えられています。
最近の調査や古文書の研究によると、東北地方太平洋沿岸では、869年の貞観地震の際、東北地方太平洋沖地震と同じような津波が襲来したことが分かってきており、古文書や石碑など先人の手による記録の重要性が見直されています。
特に、大分県の災害史の中で津波防災上参考にすべき事例として、慶長豊後地震(1596年9月4日発生)、宝永地震(1707年10月28日発生)、安政南海地震(1854年12月24日発生)の3つがあります。
このうち、津波の高さがわかる記録として、宝永地震について、佐伯市米水津で波が最も高く到達した場所が11.5mというもの(浦代浦成松庄屋文書)、また、安政南海地震について、津波そのものの高さが9尺(3m弱)というものがあります。
歴史古文書における慶長豊後地震及び宝永地震の津波被害箇所と津波高
大分県内に被害を及ぼした地震の記録
昭和以前