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大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)にあるドイツ人の墓碑について~100年の時を超えた墓参~

印刷ページの表示 ページ番号:0002084962 更新日:2020年2月26日更新

大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)にあるドイツ人の墓碑について~100年の時を超えた墓参~

○経緯
 日本は、第1次大戦においてドイツと中国青島にて交戦した際、ドイツ兵を捕虜として日本に移送しました。国内には10数カ所の収容所が設けられ、その1つが大分市金池にありました。
 桜ヶ丘聖地には、シベリア出兵において戦死した多くの日本兵の墓碑とともに、収容所で病気のために亡くなった2名のドイツ兵の墓碑が保存されています。
  大分ドイツ人俘虜収容所写真(国立国会図書館データーベースより)
ユフタ戦戦没者等墓標
○墓参について
 戦争から100年以上経ち、墓参されるご遺族も少なくなる中で、令和元年12月にご遺族にあたる駐日ドイツ大使館付武官のキーゼヴェッター大佐が友人である海上自衛隊員の協力を得て墓参されました。
 キーゼヴェッター大佐からは、長きにわたって墓碑等が保存されていることに対して感謝のことばをいただきました。
ドイツ人の墓碑