鯛生金山は、明治31年から本格的に発掘を開始した。昭和8年から13年ごろに全盛期を迎え、全国から3,000人が集まるにぎやかな鉱山町がつくられた。昭和18年には既に深さ約510メートルまで開削され、閉山前の坑道の総延長は約170キロメートルに達していた。かつて東洋一の産出量を誇った鯛生金山の当時の面影は、地底博物館として一部が公開されている坑道と旧青化精錬所に見ることができる。
日田市中津江村
施設・建物
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