「東洋のロダン」「彫聖」とよばれる朝倉文夫は、出身地、豊後大野市朝地町の自然をこよなく愛し、昭和36年には、芸術作品を観賞する壮大な公園(愛の園生)の建設計画を立てた。その後、朝倉文夫の死去により中断されていたこの計画を町が受け継ぎ『やすらぎと芸術の里づくり』のシンボル施設として「朝倉文夫記念公園」が建設された。
豊後大野市朝地町
施設・建物
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