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豊後南画の祖・田能村竹田

印刷用ページを表示する 更新日:1985年12月1日更新

1985年12月号 広報おおいた

豊後南画の祖・田能村竹田

説明

竹田市の竹田荘にある田能村竹田像。渡辺長男作。
「画家である前に人間であれ。技の人である前に道の人であれ」豊後南画の祖・田能村竹田は、その画論集「山中人饒舌(さんちゅうじんじょうぜつ)」の中でこういっている。竹田が本格的に絵師として南画一筋の生活に入ったのは、岡藩を引退した37歳のときである。絵師としては決して早いスタートとはいえない。にもかかわらず、彼が南画かとして海内第一の評判を得、数多くの優れた作品と後継者を残すことが出来たのは、深い学識と気骨ある生活態度のせいであった。岡藩引退後、広く長崎、京大阪、江戸に旅し、頼山陽、谷文晁著名な文人や画家と交流した。特に頼山陽との深い付き合いは有名。その幅広い識見と人間的魅力に数多くの門人が集まり、帆足杏雨、後藤碩田、高橋草坪、田能村直入のいわゆる竹田門下四天王を育て、豊後南画の伝統を伝えた。

場所

場所:竹田市

カテゴリー

食・文化・史跡

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