荻町は、阿蘇外輪山に続く標高500~600メートルの台地上にある。明治12年、工藤祐鎮(のち初代荻村長)の頭から、水問題は片時も離れることがなかった。その3年後、工藤は水路事業に着手したが資金難のため中止。明治39年、当時大分県知事に着任した千葉貞幹が水路事業の中断を知ると早速再開を指示する。このとき、荻村長は後藤哲彦、柏原村長は垣田幾馬であった。幾馬は大正5年、荻柏原耕地整理組合の組長となってこの事業の先頭に立った。大正11年起工。難工事のすえ大正15年11月に通水式をむかえた。阿蘇外輪山からふもとの大田に川からはるばる30キロ、真新しい水路をくぐって怒とうのように押し寄せてきた波を見ると、羽織はかまの幾馬を先頭に村人はわれ先に水路に飛び込み、泥水をすくって男泣きに泣いたという。発起した工藤祐鎮、継承した後藤哲彦、垣田小八郎、幾馬父子、完成させた矢野又次郎らの名は通水記念碑に残された。(写真は完成当時の小延長190キロの水路 大正15年)
場所:荻町
食・施設・建物・文化・史跡
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