西南戦争が終わって間もない明治13年3月、漢方を廃して洋方をとり入れた近代医学の大分県(立)病院・医学校が設立された。その初代病院長兼医学校長に就任したのが鳥潟恒吉である。安政元年(1854)秋田藩花岡村の肝煎といわれた家に生まれ、25歳で大分県病院・医学校の院長権校長に任ぜられて、その設立に携わった。大正3年63歳で生涯を閉じるまでの40年間、大分県衣料の近代化の中心的役割を果たした功績はまことに大きい。写真は明治32年頃の県立病院である。
場所:大分市
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