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ラテンクルスを正面の軸部に刻んだキリシタン墓

印刷用ページを表示する 更新日:1978年10月1日更新

1978年10月号 広報おおいた

ラテンクルスを正面の軸部に刻んだキリシタン墓

説明

日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが、大友宗麟の招きによって府内(大分市)に来たのは1551年。以来、隆盛の一途をたどりつつあった豊後のキリスト教も、豊臣秀吉の宣教師追放令、大友氏の滅亡、徳川幕府の弾圧などにより衰退した。数多く残されていたキリシタン遺物も島津軍の侵入、西南戦争などの戦禍によってほとんど失われたが、各地に点在する遺物から当時の隆盛の姿をしのぶことが出きる。このほかにもこの墓地には斗枡を伏せたような形の墓が十数基ある。(臼杵掻懐(かきだき))

場所

場所:臼杵市

カテゴリー

食・文化・史跡

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