当時、津久見市の産業を支えているのは石灰石であった。無尽蔵(推定45億トン)といわれた石灰石は、水晶山から胡麻柄山、碁磐ヶ岳(八戸高原)をへて臼杵市野津町の風連鍾乳洞にいたる約20キロメートルの石灰層をなしていた。また産業を発展させた大きな力の一つは豊後水道で、これを利用して石灰輸送はすでに明治時代から機帆船を使って行なわれていたが、この水深の深い海岸が津久見港の工業を伸ばす原動力であった。
津久見市
街並み・風景・商工業
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