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県営林の概要

印刷ページの表示 ページ番号:0000008412 更新日:2010年4月1日更新

1 県営林の目的

 県営林は、水源林の造成等を通じた森林の公益的機能の発揮、公有林野県行造林の推進による地域産業の振興、県基本財産の造成及び民有林業の模範を示すなど、本県の森林・林業・木材産業の振興に貢献することを目的とする。

2 県営林の沿革(経緯)

 県営林は、明治35年の模範林設置に始まり、大正13年からは公有林野の高度利用を図るための公有林野県行造林を開始するとともに、昭和33年の分収造林特別措置法の制定等により積極的に民有林の分収造林を推進するなど、戦前・戦後を通じて県下各地で造林・保育に努めた。
 また、平成19年9月から大分県林業公社が管理してきた公社有林を「県民有林」として受け入れ、管理面積がこれまでの7,297haから大きく増加し13,190haとなった。
 

3 県営林の種類(区分)

(1)県有林

 県有林は、明治35年の大分県模範林設置方法の制定に基づく模範林の設定(859ha)がその始まりであり、紀元2600年記念造林(昭和15年)、新憲法発布記念林(昭和21年)等の設定を通じて、一般民有林に対する造林施業の模範を示すとともに、造林の奨励、未利用林野の利用開発、県基本財産の造成を図るため、県下各地の林地を積極的に購入し、造林、保育、保護などその育成に努めて来た。
 

(2)二者分収林

 二者分収林は、大正13年の昭和天皇御成婚を記念して制定された御成婚記念公有林野県行造林規則に基づく御成婚記念林の設定が始まりであり、公有林野の高度利用、県基本財産の造成及び植林思想普及等に大きく貢献した。
 その後、御大礼記念神社林造成規則制定に基づく御大礼の記念造林(昭和4年)、戦後の講和記念県行造林規則に基づく講和記念造林(昭和27年)等により二者分収林が拡充された。
 さらに、昭和33年には森林資源の造成を積極的に推進するため、分収造林特別措置法が制定され、県もこれに基づき大分県県行分収造林規則(昭和33年)を制定し、拡大造林を主体に分収造林を積極的に推進してきた。
 その後、分収造林の担い手として社団法人大分県造林公社(その後社団法人大分県林業公社に名称を変更し、平成19年9月から大分県が県民有林として管理)が設立されたため、県は県行造林の伐採跡地の再造林を主体に分収造林を推進してきた。
 

(3)三者分収林

 三者分収林は、県内産業振興政策に基づき誘致した鶴崎パルプ株式会社の資材用原木確保、大分県企業局の水力発電用資材確保及び県行造林の推進のため、両者から造林事業費の負担を得て実施する特定寄附分収造林を昭和32年から開始した。
 昭和35年からは、大分県県行分収造林規則に基づき、県も造林事業費の一部を負担する普通分収造林として継続実施した。
 費用負担者である鶴崎パルプ株式会社は、昭和63年に権利・義務が本州製紙株式会社に次いで、平成8年10月には王子ホールディングス株式会社に承継され、現在に至っている。
 

(4)県民有林

 県民有林は、昭和45年8月、県・市町村・大分県森林組合連合会及び森林組合の出資により社団法人大分県造林公社が設立され、その後、昭和61年3月に分収造林特別措置法に基づく森林整備法人の認可を受け大分県林業公社と改称したが、平成19年8月31日に解散し9月1日から公社営林は、これまでの県有林、県行造林と一体的に、県民から預かった県民有林として新たな管理を開始した。
 林業公社を解散し公社営林を県民有林として引き受けるに当たり、県民有林は、県民から預かった森林として公益的機能を重点に置いて経営することとされた。
 このため、林業公社の分収造林契約は、原則として契約期間を85年に延長するとともに、収益分収から材積分収に移行する等の変更を行い、皆伐を行わず、抜き伐りを繰り返すことで、天然広葉樹の導入を図り、契約満了時には針広混交林の状態で、土地所有者に返地する長伐期非皆伐施業を行うこととしている。
 

4 県営林の現況

(1)県有林     2,415.52ha (18%)
(2)二者分収林  1,643.35ha (13%)
(3)三者分収林   563.11ha  (4%)
(4)県民有林    8,568.24ha (65%)
   総 計    13,190.22ha(100%)         令和6年4月1日現在