本文
Vol.1 医療をめぐる人権(ハンセン病)
🔳 活動を行うようになったきっかけは?
平成15年、オカリナ演奏のため、鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園を訪問しました。演奏後の交流会で、たまたま大分県出身の入所者である白根九州男さんの横に座ったのが最初の出会いです。もしこの時、隣に座ったのが違う方だったら全く違う人生だったと思います。
私は、今では白根さんご夫婦を「お父さん、お母さん」と呼んでいますが、家族ぐるみで白根さんとの交流が始まりました。ちょうど1年くらい経った頃でしょうか。だんだんと白根さんご自身のことを話していただけるようになりました。
子どもの頃にハンセン病により療養所へ強制収容され、故郷に帰ることも、家族や友達、地元の人に会うことも叶いませんでした。みんなは自分がどこに行ったのか、何が起こっていたのかさえ知らないのです。若い頃は、故郷に帰って嫌な思いをするよりも、ここで夫婦の終の住処として暮らすことが良いと感じていたそうです。
しかし、年齢を重ねるにつれて、療養所では結婚しても子どもを持つことは許されず、次の世代へ何も残すものがないということへの不安が増していきました。自分の生きた証を、誰かにしっかりと覚えていてほしい。そして、世の中が進歩している一方で、未だに偏見や差別が存在していることを知ってほしいとも語っていました。白根さんは私を信頼して、自身の想いを分かち合ってくれました。そして、私を紹介するときに「大分の親友」と呼んでくれていました。この言葉は私にとってかけがえのない宝物です。
語り部という言葉は多少大げさかもしれませんが、白根さんが私に伝える使命を託してくれたと感じました。そこからがスタートですね。
🔳 これまでの活動について教えてください。
年に3、4回は園を訪問し、別府の我が家にも何度も来ていただきました。一番の思い出は金沢・飛騨高山・白川郷へ一緒に旅行へ行ったことです。珍道中でしたが、本当に楽しかったです。白根さんのお宅の台所で、お母さんと一緒に大分の郷土料理を作ったことも良い思い出です。
平成26年8月には、別府市制90周年記念事業『差別をなくす市民の集い』で、『ふるさとははるかに遠く〜ハンセン病強制隔離政策がもたらしたもの〜』と題して、白根さんと対談形式で講演を行いました。
まだまだたくさんの思い出を一緒につくりたい、そう思っていましたが、残念ながら令和3年5月白根さんは86歳でお亡くなりになりました。コロナ禍の影響で、直接会うことが叶わず、お別れすることができなかったことが本当に悔やまれます。コロナ禍により機会は減りましたが、鹿屋市をはじめ大分県内各地で啓発講演会を行なっています。
以前は講演会の前には必ず白根さんに電話をかけ、内容の相談をしていました。「明日はこんな感じで話そうと思うんだけど、どうかな?」と尋ね、原稿や数字の訂正をしてもらうこともありました。また、「このことは必ず言ってほしい」と要望も聞いていました。そういう密なコミュニケーションを取っていたのですが、その電話も2年前で終わってしまいました。
新たに教えていただくことはもうできないのですが、白根さんと関わってきた18年間で教わったこと、一緒に築いた思い出の1つ1つが私の礎石となっています。
私自身も年齢を重ねるにつれ、どれだけのことを忘れずいられるか。講演会の際には、それぞれのエピソードについていろんな角度から思い出を辿り、原稿に書くようにしています。私の目を通して見たことや感じたこと、その瞬間の空気感など、ありのままの情景を呼び起こしながら、そこに差別をなくすというテーマを持って何か伝えていきたい。そう心がけています。
🔳 今後の活動について教えてください。
だんだんと忘れ去られていく、それが白根さんの危惧していたことでした。
療養所にいる方々は高齢化が進んでいますし、若い方々はハンセン病自体を知らないという方が増えてくると思います。他県と違い、大分の場合は近くに療養所がなく、社会復帰した方が近くにいるわけでもないので、子どもたちが体験学習をするというのも難しいです。インターネットで検索すれば、ハンセン病に関する情報はすぐに出てきます。しかし、一方的にその情報を受け入れて終わりだと、人間的な温もりもなければ、コミュニケーションの備わりもありません。ハンセン病だけでなく、他の差別についても同じだと思いますが、画面の情報と自分だけで完結するのは恐ろしいと思います。
若い人たちや一生懸命に子育てをしている方々には、正しくものを見ることの大切さを知っていただきたいです。そして物事をいろんな角度から見るトレーニングが大事だと思います。いつまで私ができるかはわかりませんが、できる限り語り継いでいきたいですし、どうやって繋いでいくのがいいのか、それはみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。
🔳 差別をなくすために行動したい人へのメッセージをお願いします。
まず、肩の力を抜いてください。肩の力を抜いたら気負いがなくなります。
例えばハンセン病の問題をこれまでに知らなかったとしても、知らないのは当たり前なんです。知らないことを気にせず、知りたいことを何でも聞いて知っていけばいいと思います。ただ、聞き方も無作法では相手に失礼ですから、関心を持ったことを自分なりに少し勉強してから聞いてみてください。
私はこの活動を『支援している』というのではなく、『寄り添う』という言葉が一番しっくりくると感じています。あくまで相手と対等な関係であると考えているからです。差別というもの自体、個々の多様性や価値観がある以上、私はなくならないと思っています。人権を守るというのは本当に大事なことですが、差別を完全になくすのは難しいのではないでしょうか。ただ、差別について関心を持つことは大事ですし、みなさんが少しでも何かしてみたいと思ったとき、それが一歩踏み出すタイミングです。相手に自分がどういうふうに携わって、将来的にどういうふうに関わっていきたいか。
その意志によって、いろんな道が開けると思います。