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乾しいたけの生産量・質ともに日本一の大分県
源泉数・湧出量ともに日本一を誇る“おんせん県”が、日本一の生産量を誇る産品といえば、かぼす、サフラン、ホオズキ、養殖ひらめ、そして何といっても「乾しいたけ」。令和4年の全国の原木乾しいたけ生産量は1788.5t、そのうち大分県の生産量は768.8t。4割以上を占める一大産地だ。
量だけでなく、質も日本一。日本椎茸農業協同組合連合会主催の全国乾椎茸品評会で、大分県は24大会連続の団体優勝を記録し続けている。個人の部で最高賞の農林水産大臣賞を受賞するような、技術と熱意を持ち合わせた生産者も数多く、2023年の品評会における天白どんこの部で、1等の林野庁長官賞に輝いた〈株式会社河合組〉の河合清会長もその1人だ。
▲白く亀裂の入った天白どんこは条件が揃わないと発生しない最高級品
家族の事業を会社で継承。わずか4年で全国トップ級の品質に!
清会長がしいたけの栽培に取り組み始めたのは、還暦を迎えた2008年のこと。もともとは自身が起ち上げた河合組で建設業と産業廃棄物処理業を営んでいたが、この頃、リーマンショックの影響で業界の景気が悪化。そんな折、しいたけの生産者だった兄から事業規模を縮小するという話を聞き、建設業を縮小する代わりに「うちが跡を継ごう」と決意したのだった。清会長とともに、息子の幸作社長も参加することになった。
ただし、清会長の兄がもっていたほだ場(しいたけの栽培地)は佐伯市にあり、河合組のある大分市からは距離がある。そのため、会社が所有する土地の近くを新たに借り、生産拠点を整備。近隣住民と日頃から良好な付き合いをしていたため、土地の確保はスムーズだったという。さらに、確保した土地の整地には、建設業のノウハウをフル活用できた。これは「異業種からアグリビジネスに参入した最大のメリットだった」と、幸作社長は語る。
▲第53回大分県農業賞の先進的法人経営部門において県知事表彰、県農業協同組合中央会長表彰、大分合同新聞社長表彰で特別賞を受賞した河合幸作社長
「しいたけのほだ場は、山に開拓します。借りた山には雑木林が覆い繁っていて道もありませんでしたが、土木工事を得意としていて重機も揃っていたので、道をつくるところから木を伐り整地するところまで、コストをかけずにすべて自分たちで作業できました。重機も、バックホーのアタッチメントを変えるだけで木の運搬や原木に使うクヌギの下草刈りなどさまざまな作業に適用できたんです」
栽培環境が整うと、清会長の兄から直々に栽培技術を継承。初年度は0.5haの面積で8万コマを植菌し、2年目はその倍…と、初めてのアグリビジネスながら事業は極めて順調に進んで行った。そして4年目の2012年、全国乾椎茸品評会に初挑戦し、初出品にして天白どんこ部門の林野庁長官賞を受賞したのだった。
新たな価値を創造。そして事業間で支え合う組織に成長
当初、乾しいたけの生産は清さんの個人事業として始めたが、売上に貢献できると判断し、やがて河合組の新規事業に組み込んだという。
企業で農業をするメリットは、既存の施設を活用し、新たな価値を生み出せることにもある。河合組は、アグリビジネス参入直後、大分市郊外の森町にある社屋の1階を農産物直売所に改装した。しいたけを指す方言“なば”にちなんだ〈菜葉屋〉という名前で、自社産の乾しいたけのほか、近隣の生産者から仕入れる旬の農産物や加工品などを販売している。店の周辺は住宅街。新鮮な産直品を求めて、足を運ぶ客が絶えない。
▲もともと建設業・産廃業を営んでいた社屋の1階部分を直売所〈菜葉屋〉に改装
大分県内の市町村別に見ると、竹田市や豊後大野市が乾しいたけの大きな産地だが、県庁所在地の大分市も全18市町村のほぼ平均的生産量を確保しているれっきとした産地。県の面積の7割を森林が占める大分では河合組のように、住宅地などにも存在する小さな山々を活用して、都市部でも十分に農業ができるのだ。
順調にすべり出した事業だが、苦労がまったくなかったわけではない。
「土地の造成は重機でできたのですが、しいたけの栽培は、手作業が多いんです。ほだ木にするクヌギの木をチェーンソーで切り、1mの長さに玉切りして、それにドリルで穴をあけて、重たい木を並べて…と、地道な作業を何千本分繰り返します。慣れていない会長は、何年か経って腰を痛めてしまいました。今は、外国人技能実習生を受け入れ、若い力でカバーしてもらっています」
何千本ものほだ木をクヌギ山からほだ場へ移動する際も、多大な労力が必要。その際は、産廃部門の社員が応援に入ってトラックでの運搬作業を担い、農業部門の社員の作業を軽減することができるそうだ。
原木にしいたけ以外の菌が棲みついたり、高温で菌が死滅したりと、近年の異常気象による生産量への影響は少なくない。環境づくりに苦労しつつも、就農から15年余り経った今、大分市最大規模の2.5haで安定的に2.5tの生産量を上げられるようになった。気候と相性の良い、あるいは花どんこや天白どんこなどの高値で売れるしいたけが発生しやすい品種選びがカギを握り、挑戦しがいのある部分でもある。
壁にぶつかった時には、大分県から栽培方法の指導から助成金に関することまで手厚いサポートを受けることができる。研究機関まで完備し、データと経験値の両方からアドバイスできるのが、日本一の産地ならではの強みだ。
資源を循環させて、未来に続く持続可能な農業を
河合組が素晴らしいのは、農作業で発生する資源を再利用するなどして循環させ、持続可能な農業を実践しているところだ。
例えば、ハウス栽培用の施設は、バラの生産者が使っていたハウスを移設・再活用したもの。使い終わった原木は、地域の竹林を整備する際に伐採する竹とともに小さく粉砕し、近所の畜産農家から譲り受けた糞に混ぜて良質な堆肥づくりに役立てている。
▲再活用したハウス(上)とほだ木と竹、牛糞を再利用した堆肥(下)
そもそも、クヌギの木を原木に使うのは、伐採後の切株から自然にまた木が育ち、しかも15年という短いスパンで成長するから。ただ、何度も伐採と成長を繰り返した木は枯れてしまうこともある。枯れた木を植え替えるための新しい苗が必要となるので、河合組ではクヌギの苗を育てることにも力を入れている。
▲クヌギの苗の再生は清会長が熱を込めて取り組んでいる
また近年、生しいたけの出荷にも取り組んでいる幸作社長だが、出荷できない規格外のしいたけが出てしまった時、それをサイコロ状にカットして冷凍し、加工品として販売するアイデアを思いついた。冷凍することで長期保存ができ、そのまま調理に使える手軽さもある。出荷できない生しいたけに価値をもたらしたのだ。こうして6次産業化した商品は、今後ECサイトで販売をするため、準備を進めているところだ。
▲ダイス上にカットした規格外の生しいたけを急速冷凍して商品化。フードロス削減を目指す
大分県のしいたけ栽培の歴史は、約400年前の江戸時代に始まったと伝えられている。ナタで木の幹に傷をつけ、そこに自然に菌が付着するのを待った方法から、クヌギの原木に種コマを植菌する現在の方法へ進化。そして河合組が実践する持続可能な農業の先には、どんな未来が待っているのだろう? 現在、大分県原木生椎茸出荷推進事業部会の会長を務めている幸作社長。その活躍に、今後も大いに期待が寄せられている。
農業を行う法人名 株式会社河合組 |