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ヲンタイ遺跡発掘調査速報

印刷用ページを表示する掲載日:2023年9月8日更新

ヲンタイ遺跡発掘調査速報

事業名

県道中津高田線道路改良事業に係る埋蔵文化財発掘調査

所在地

宇佐市大字江須賀

調査期間

令和5年6月7日~令和5年8月28日

調査概要

ヲンタイ遺跡は駅館川左岸の沖積地上、JR九州柳ヶ浦駅から約300m南に位置する遺跡です。今回、道路改良事業に伴い2つの調査区を設定し、約1,260平方mにわたって埋蔵文化財発掘調査を実施しました。

検出遺構と出土遺物

調査で確認できた遺構と出土遺物は中世と近世以降の時期に分けられます。
【中世】
中世の出土遺構には土坑、柱穴、溝、墓などがあります。柱穴や土坑などからは器の表面を瓦のようにいぶした瓦器椀(がきわん)や、当時の中国でつくられた青磁碗などが出土していることから、13~14世紀頃に集落が形成されたと考えられます。墓は1基で、穴の大きさは長軸約1.5m、短軸約0.7m、検出面からの深さ約0.2mです。遺物は土器や青磁碗の破片とともに鉄釘が20本程度出土しています。穴には木棺の底板や側板の痕跡が確認されており、鉄釘はこれらの板材を組み合わせるために使用したと考えられます。
【近世以降】
近世以降の出土遺構には石積や溝などがあります。石積は調査区を南西から北東に横断する形で確認されています。明治21年前後に作成された旧字図に図示された筆界と一致することから、水田の段差部分に護岸のため積まれたと考えられます。出土遺物も少なく時期を特定することは難しいですが、中世の溝を壊して石積をつくっており、近世以降に造られたと考えられます。

調査のまとめ

調査地西側には古代以降、条里制(じょうりせい)という土地区画制度により耕地開発が行われた宇佐地区条里跡が所在します。ヲンタイ遺跡でも耕地の開発は進められたと考えられ、確認された遺構は、中世に土地を開発した人々の集落に関係するものだと考えられます。
調査地周辺では遺跡の発掘調査の事例は少なく、今回の調査で過去の人々の営みの一端を明らかにできたことは大きな成果といえます。
調査地の遠景 
調査地遠景(西から撮影・写真左側がJR九州柳ヶ浦駅)
調査区1で確認した溝
調査区1 溝
調査区2遠景東から撮影
調査区2遠景(東から撮影)
調査区2 遠景  西から撮影
調査区2遠景(西から撮影・↑が石積、↓が墓)
調査区2の土坑、柱穴など
調査区2 土坑、柱穴など(東から撮影)
調査区2の墓
調査区2 墓遺物出土状況