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上田原東遺跡発掘調査速報

印刷用ページを表示する掲載日:2021年3月29日更新

上田原東遺跡発掘調査速報

事業名

県道三重新殿線道路改良事業に係る埋蔵文化財発掘調査

所在地

豊後大野市三重町上田原

調査期間

令和2年5月8日~令和3年1月21日

調査概要

上田原東遺跡は大辻山山塊の西側、大野川を見下ろす丘陵上の平坦面に立地します。遺跡と谷を挟んで約500m南には、4世紀末頃の築造とされる前方後円墳の立野古墳(県指定史跡)があります。県道三重新殿線の建設工事に先立ち、約3,200平方メートルを対象に本調査を実施しました。

検出遺構

発掘調査で確認された遺構は、大きく次の時期に分けられます。
1 縄文時代後期後半~晩期末(約3,500~2,800年前)…竪穴建物約20棟、土坑(貯蔵穴)
2 弥生時代中期(約2,000年前)…竪穴建物約20棟、花弁形建物、土坑
3 古墳時代前期後半~中期初頭(4世紀後半~5世紀初)…竪穴建物約10棟、土坑
4 古墳時代後期後半(6世紀後半~7世紀初)…カマドを持つ竪穴建物約10棟
5 中世(13~14世紀頃)…掘立柱建物1棟、土坑、柱穴

遺物の出土状況

遺物は上記遺構を中心に、縄文土器や石器、弥生土器、土師器、須恵器、鉄製品、青磁、白磁、常滑焼等が出土しています。また、遺構に混入して旧石器時代の遺物も少量ながら出土しました。石器は扁平打製石斧(土掘り用の石器)が多く出土しています。この扁平打製石斧は縄文時代~古墳時代の竪穴建物から満遍なく出土しています。また、稲作に関連する石包丁は出土しておらず、水田稲作ではなく畑作を中心とした生業が営まれていた可能性があります。

調査のまとめ

発掘調査によって、上田原東遺跡が縄文時代~古墳時代を中心とした大規模な集落遺跡であることが分かりました。縄文時代の竪穴建物は多くが晩期末のものですが、この時期の建物跡は県内では極めて少なく、重要な成果です。弥生時代では、花弁形住居が特筆されます。古墳時代では、近隣の陣箱遺跡(弥生時代中期~古墳時代初頭)の形成が終わった時期から遺跡の形成が始まっており、人の移動があったとみられます。そして、集落が継続している時期に前方後円墳の立野古墳(4紀末、県指定史跡)が築造されています。立野古墳と同時期の集落はこれまで発見されておらず、古墳と集落の関係を考える上で重要な成果であるといえます。今後、出土品の調査・分析をすすめることで、より詳細な地域の歴史を明らかにしていきたいと思います。
3区空撮
上田原東遺跡空中写真
弥生時代建物群
弥生時代の円形竪穴建物群
花弁形建物
弥生時代の花弁形建物
古墳時代カマド
古墳時代の竪穴建物に付設のカマド

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