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県名の由来

印刷ページの表示 ページ番号:0001004475 更新日:2024年11月15日更新
大分 ◆ いまの県になったのは

 大分県と称せられたのは明治4年の11月で、明治5年1月23日、大分郡南勢家(現在の大分市都町)に大分県庁が設置されました。

◆ 県名の由来

 「日本書記」における景行天皇の九州巡幸の記事では、「冬十月に、碩田國に到りたまふ。其の地形広く大きにして亦(また)麗し。因りて碩田と名く。碩田、此れをば於保岐陀と云う」とあります。
 また、「豊後国風土記」では、同じく景行天皇の発言として「広大なる哉、この郡は。宜しく碩田国と名づくべし」との記載があり、この“碩田(おおきた)”がのちに“大分”と書かれるようになったとされています。(諸説あります)

※景行天皇・・・古墳時代の第12代天皇で「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の父とされています。