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大山小学校6年生の黒川くんは、6月10日のチュニジア・ベルギー戦を観戦しました。また、6月14日に別府ビーコンプラザで行われた日本・チュニジア戦のパブリックビューイングでは、集まった五千人の観戦客を前に、大山町を宣伝しました。 |
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大山サッカー少年団のセンターフォワードです。チュニジア戦を見られることに決まってから、雑誌で調べて、ジャジリ選手の活躍を楽しみにして行きました。
ビッグアイでの本物の試合はすごかったです。フランス語がわからなくて、外国の人と話せなかったのは残念だったけど、僕もJリーグの選手になって、日本代表として外国のチームと対戦したいと思いました。
パブリックビューイングで、大山町の宣伝をしたときはすごく緊張しました。途中でわからなくなって黙ってし
まったら、みんなが「じゅんや!じゅんや!」ってコールしてくれて、ビックリしました。
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潤也くんのお母さんは「サッカー大使になって、いろいろなことに積極的になったようです。秋の運動会で応援団長をすると言い出したときには、家族みんなが驚きました。本当によい経験をさせていただきました」と、潤也くんの成長を喜んでいました。 |
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蒲江町の翔南中学校1年生の御手洗聡洋くんは、トリニータU―15に所属し、平日に週2回、練習のため大分市へ通っています。 |
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メキシコ・イタリア戦をビッグアイで観戦しました。遠い外国から集まったサポーターの声援を受けて「絶対に勝つ」気迫でプレーする選手はすごかった。イタリアのデルピエロが短い時間の中でも活躍できてよかったです。
僕は、ディフェンスの一番後ろでストッパーをやっています。日本代表の森岡や宮本のように、堅い守備で点を取らせずに、チームをまとめる役目が気に入っています。
蒲江町ではサッカー人気はまだまだで、巨人のファンの方が多いけど、ワールドカップが大分で開催されて、みんなで一緒にテレビ観戦して盛り上がったり、学校でも話題になったりしたことが僕にとってはうれしかったです。
これからもサッカーの技術を磨いて、将来はJ1選手、日本代表になって、海外で活躍したいし、チャンスがあれば、世界レベルの指導もぜひ受けてみたいと思っています。 |
「なにか皆さんへのメッセージがありますか」と尋ねたところ、「ワールドカップ開催地にもなったし、これからは、好調のトリニータをもっともっと応援してください」とのことでした。 |
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大分市内の「くまがい産婦人科」の助産婦、竹内さんは、青年海外協力隊として、一九九八年から2年3か月余りセネガルで衛生教育に携わりました。セネガルチームが大分で決勝リーグを戦うことになり、セネガルサッカー協会の配慮で試合観戦ができました。 |
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セネガルのサポーターが少ないのでは、と心配していましたが、スタジアムには選手を鼓舞するタムタム(太鼓)の音が響いていて、懐かしいリズムに感動しました。
協力隊員として現地にいるとき、みんなが「二〇〇二年の日本でのワールドカップにはきっと出場する」と言っていましたが、大分で決勝リーグを戦うことになるとは、本当に驚きです。
大分での試合も、トルコとの準々決勝も、個人プレーが得意なセネガル人らしさが表れていて楽しめました。
実は、フランス語通訳のボランティアとして、10日に大分駅のインフォメーションにも出ました。両替のため、チュニジア人を銀行まで連れて行ったり、チケットを持たずに来県したベルギー人と、路線バスでビッグアイまで行くルートを探したりして、自分なりにお役に立てたかなと思っています。
結局、そのベルギー人は諦めてホテルへ向かったのですが「親切にしてくれたお礼に」と、彼がアルベールビルオリンピックへ行ったときの記念のバッヂをプレゼントされました。
今回のワールドカップは本当に思い出深いものになりました。 |
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3日間を振り返って
(6月16日・臨時記者会見から) |
ワールドカップサッカー大分開催を通じて、中津江村をはじめ、大分県の名前が世界へ情報発信できました。
また、国内外から訪れた方々が、大分県民のホスピタリティーに感銘を受けられ、新しい交流のきっかけになりました。そういった意味で、非常に充実した3日間でした。
日本チームが快進撃を続け、韓国のチームとともに決勝トーナメントに進出し、国民的なムードが盛り上がりました。その盛り上がりに開催地として大分県も一翼を担ったということや、サッカーを通じて多くの県民に感動を与え、各国の方々との交流の意識が芽生えたことなど、やはり大分で開催してよかったと思っています。
この大会を支えたボランティアの皆さん、関連イベントの開催にご協力いただいた大分市、別府市はじめ各市町村の皆さん、県民の皆さんに心から感謝を申し上げます。
大分県知事 平松 守彦 |
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